Dプラス スタッフblog

「医師の生涯のパートナー」を目指します

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高野山 普賢院

   

その日は曇っていました。

でも、心は期待と緊張で、落ち着かないながらも、明るい心持ちでした。

数年来、待ちに待った、高野山への参拝です。

 

十年以上の親交を頂いている敬愛する大学教授のご紹介にて、高野山の歴史

ある宿坊(普賢院)にお世話になりました。そこには、平成9年にネパール国

の寺院から住職が請来した仏舎利も安置されています。

 

偶々ですが、その宿坊には、東京のブランド病院に出入りしている治験会社

の方々も滞在しており、動物実験で屠られた数多の御霊をお祭りしていると

いうことも伺いました。

 

翌朝、朝の勤行を終え、身支度もままに、奥の院(弘法大師が御入定されて

いる地)へ向かいました。

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一の橋を渡ってから、右に左に、下に上に、視線をどこに移しても、眼で

感じているのか、心で感じているのか、意識外の部分が動かされているのか

は定かではありませんが、何ともいえぬ、畏れ多い、ただならぬ感動を

頂きました。ああ、確かに、ここは日本随一の霊場、そんなありきたりの

言葉が出たのが精一杯です。本当に、全く次元を超えた物凄いものに相対

した時、自分が空虚になると同時に満つる、何も加えず、引くことも無い、

満ち足りた状態になったのでした。

 

この人生で何度も来なければいけない、そう直感した、奥の院でした。

 

話は戻って、普賢院に到着した際、驚いたことにご住職が挨拶に来られ

ました。自分のような欲まみれで慈悲に縁遠い生き方をしてる者にわざ

わざ、、、、と思うと、逃げ出したいような心持ちがしましたが、遠慮し

過ぎるのも逆に自我の出し過ぎ(無作法)と思い直して、率直にお話し

を伺いました。

 

弘法大師空海が、一番に大事にしていた“理趣経”に話が及びました。

 

弘仁4年(813年)、比叡山の最澄から理趣経の拝借を求められた空海は

「この最上のお経を貸す前に、私の弟子になりなさい。」と最澄に迫った

ようで、拝借の話が流れるとともに、ふたりの仲も疎遠になったそうです。

年長の最澄に対して、膝下に額づきなさい、と言い放った、空海の矜持

と透徹した悟境は、凡人には想像つきません。

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普賢院のご住職は、理趣経の話に触れて、頭で理解するということと、

それを体得し実践できるということは、別物である、と仰いました。

本(お経)を読めば理解はできるでしょう、しかし、本当には分かって

いないし体現していないから、自分も変わらなければ他も変えられない、

というニュアンスで、空海も最澄に対し、真理を伝えるのに、実践、

体得を求めたのだろう、ということでした。

 

その他、欲の否定と肯定、小欲と大欲、善と悪とは、等々に話が及びました。

 

それから、ご住職は、東京の私立大学医学部を卒業なされて学位もお持ち

の医学博士でもいらっしゃいます。

 

また、高野山に行きたい、出来れば、妻、子供、両親も連れて行きたい、

そう思っています。

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平安時代から戦国時代にかけて、天に近い神聖な高野山にお骨を収めることが、

その魂が極楽浄土に行くよすがになるという思想があったようです。

 

どのような方の墓標があると思いますか?

 

ざっくり記しまして終わりと致します。

・薩摩島津家

・森忠政(津山藩主)

・多田満仲(源満仲:多田源氏の祖)

・徳川頼宣(紀州藩主)

・武田信玄・勝頼

・徳川吉宗

・上杉謙信・景勝

・伊達政宗

・井伊直弼(桜田門外の変)

・明智光秀

・石田三成

・柴田勝家

・毛利家

・信州真田家

・加賀前田家

・浅野家

・豊臣秀吉・秀頼

・織田信長

・法然上人

・親鸞上人

・浅野内匠頭(赤穂浪士)

・春日局

・佐久間将監

・大岡越前

 

*その他多数

 

高野山は、日本人なら一度は訪れて、頭でなく心と身体で、

その場の空気に触れて欲しい聖地だと思います。

 - コンサルタントR