「いい病院」とは?
ご相談に応じている際「いい病院を紹介して」との言葉をよくお伺いします。
この質問にお答えするのは難しく、安易な言葉は使えないのが正直なところです。
「いい病院は?」と問われて即答が難しいのは、
1.いい病院の定義が人それぞれに違うということ
2.ご自身の要望と一般的客観的な方向性がずれているケースがあること
3.ご自身の力量(人間力含め)とご希望内容が乖離しているケースがあること
4.いい病院であっても、いつそうで無くなるかも知れない、またその逆もあること
また、上記のような時間を輪切りにして、その時点での輻輳した要素が絡み合い
ながらも、更に時間の要素を入れると、今はそのポストは存在しないけれども、
来春には出てくるかもしれない、また今存在するこのひとつの枠さえ、最後の一枠
が埋まれば、もう何年も出て来ないかも知れない、と、ご縁のある職場に出会える
のは大変な確率の低さに思えます。
また、こんな風にも思うことがあります。良薬口に苦し、という諺がありますが、
周囲が辛辣で厳しい環境の時に、その先生の実力が養われ、人格が陶冶されて、
次の職場の管理職として花開く、とか。ラクで高給を得て、ラッキーと思って
いたら、気が付くと同年代の先生方との実力差が開き過ぎて、同僚やライバルの
いない職場を渡り歩くしかない状況に見える先生方もいらっしゃる、とか。何が、
いい環境で、何がそうでない環境なのでしょうか?と思うこともしばしばです。
自分が欲しているものと、本当に自分に必要なものがずれている時は、いずれ
厳しい状況に陥るように思えます。
私自身も身に沁みます。身体と精神のバランスの為に、食事の節度に配慮し、
お酒は頻度を守り、毎日適度な運動をして、そして、心の糧になる良書を、
と思いながら、理想の生活に近づく気持ばかりで、実行が伴わないのは、
本当はそう思っていないのである、このままの自分でいいのだと思っている、
という真の動機に最近やっと気づきました。
「いい病院」のお話から、自嘲気味の結論に至ってしまいました。
でもまた明日から、前を向いて、等身大の自分から一歩を踏み出そうと思います。