Dプラス スタッフblog

「医師の生涯のパートナー」を目指します

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子育て

   

つくづく子育ては難しいものだと思う。

やり直しがきかない。あ~あの時、ああしていれば、あ~あの時、
こうしていれば、そんなことを考えていたら前へも進めない。

あれは10年程前だったと思う。母が70歳になる頃、親族の集まり
があり、ふと気づくと母とふたりで飲む場面が突然現れた。
ふたりになると何だか落ち着かない。色々と昔の話しにも繋がり
「小さい頃のあなたは何でも聞いてくれる素直でいい子だったよ。」
としみじみ母が語った。しかし次の瞬間、無意識に次の言葉が自分
の口から飛び出した。「だって、お母ちゃんは怖かったもの、
聞かざるを得なかったよ!本当に怖かったんだよ。」と。

母は本当に厳しかった。言葉も激しかったが、手も足もハンガー
も棒も木刀も出てきた。何といっても気の入った眼で相手を圧倒
していた。兄弟が4人もいて、親父が自営業で仕事と生活がごっちゃ
になり、本当に大変だったのだと思う。その迫力、威圧力、子供達
にとってそれは、絶対的なものがあった。30~40年前の田舎の
夜中は野犬が走り回っていて危険だったが、夜中、家の外に締め
出され、地面に何時間も正座した。今思うと、お母ちゃんも本当に
生きるのに精一杯で、よくあの時代、懸命に生きて育ててくれた、
と思う。

「お母ちゃんは怖かったもの、、、」と自分が言葉を言った瞬間。
母は、眼を丸くして息が止まったように固まった、そして次の瞬間、
その目からぽたぽたと大粒の涙を流した。そして絞るような声で
言った。「ごめんね。そんな思いをさせていたのね。お母ちゃん
は何も知らなかった、本当にごめんね、、、、」何気なく出た
言葉で、こんなことになってしまったと、なすすべもなかった。

友人の息子が、数カ月前に優秀な高校を退学した。高校二年だった。
友人はある中堅企業の跡継ぎ、奥様は大学教授のお嬢様。友人の
息子は、高校に進学するまで、ほぼ学年トップの成績でサッカー
クラブではレギュラー、模範的といえる活動(クラブ、学級委員
や生徒会等)をこなしていた。少し様子を聞いたところ、高校一年
の夏頃、全てが変わったらしい。母親に向ってこう言ったという
「自分は幼い時からこれまで、あなたの言うことを聞いてきた、
あなたの言うとおりに生きてきた、自分がしたいことは何も許さ
れなかった、だからこれからは、自分の好きなように生きる、
あんたの言うことはもう聞かない。」これくらい反抗できるの
なら、反骨心のある、強い男だと思う。普通は一生言えない。

これもまた、何年も前の話し。その頃、自分の子供達はまだ
小学生だったかな。幾つもの著作があり、その内容に感銘も受け
ていた医師であり子育て教室の講師もなされるA先生が近くで
講習会をするというので出掛けた。その講話の後、何か質問は
ありますか?と先生が言うので、たまらずに手を挙げて質問した。
「先生、先生が仰るような洞察と愛情を持って、自分は子育て
を出来ませんでした。相当に不当な理由で、子供達にあたって
いたようにも思います。今からでも、子供達に出来ることは
あるのでしょうか?」もう終わったことは変わらないけど、
救われる道はあるのでしょうか?と問いたかった。その先生は、
即座に答えてくれた「お父さん、お父さんの今のその気持ち、
子供を想う気持ち、その気持ちが大事なのです。反省も懺悔でも、
この瞬間にその気持ちが子供に届いていますよ。大丈夫です。」
と。

子育てに答えは無いとよく言われますね。

最近、自分の子供達を見ていて思うのは、その優しさ、配慮、
強さ、どの要素をとっても自分が勝っているとは到底思えない。
魂的に、ずっと上の方々が降りてきている気がする。ほんの
20年位の間、天から預かって、少しだけ長く生きている知恵
を渡すだけのように思える。

 - コンサルタントR