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私の祖父

   

今回ブログを担当致しますエージェントTです。

今日は先日、90歳で亡くなった私の祖父の事を書かせて頂きます。
葬儀はこれからなのですが、大切だった祖父の事をここに書き留めておきたいと思います。

祖父はかつて小学校の校長先生でした。
60歳で定年を迎えた後、しばらくして脳梗塞で倒れその後、約30年もの間、病院と自宅で療養を続けました。
病院に入院をしていた期間は、合わせて約5年くらいでしょうか。ほとんど自宅で療養を続けていました。
その祖父を支えていたのは、いつも傍にいた祖母でした。
いつも元気で明るかった祖母は、祖父が最期を迎えるまで熱心に世話を続けました。

私が物心ついた頃からずっと祖父は病気と闘っていましたが、いつも穏やかで優しかったという記憶しかありません。
生前、祖父は日々の生活を記録するノートにこう記していたそうです。
【 体の自由が利かなくなってきても、自分で出来る事は自分でやる。】
言葉にするのは簡単ですが、高齢な祖父にとってはきっと難しい事だったはずです。
この言葉は強い意志の表れだったのかもしれません。周りに迷惑をかけない事を目標にして最後まで懸命に生きた祖父。

そして亡くなった後に起きた印象的なエピソードがあるので、ここでご紹介させて頂きます。祖父が急逝して親族達がそれぞれの仕事場から祖父の元へ駆けつけた時の話です。
急な出来事で周囲も呆然としていましたが、葬儀に向けた話が進む中で、遺影の写真はどれにしようか。という話になりました。
すると祖母は「遺影ならすでに準備をしているから、心配はいらないよ。」と言って
祖父の遺影を居間に集まっていた親族の元に持ってきたのです。

一般的には遺族が選ぶのが通常のようですが、祖父はなんと10年以上前から遺影を写真館で撮影をして大切に保管していたのです。
しかもその遺影に写っていたのは、満面の笑顔を見せるとても素敵な祖父だったのです。
私を含めて突然の出来事によって呆然としていましたが、この写真を見た瞬間に親族達から大きな歓喜ともいうべき歓声が上がりました。
後から母に話を聞くと、歩くのが不自由だった祖父を祖母は写真館まで連れて行き、遺影の為の写真を撮ったのだろうと話してくれました。
私はその時の祖父母の姿を想像するだけで胸が熱くなってしまいました。
また遺影は、写真立てに収まるサイズにも印刷されていて、祖父のメモには自分の写真を一人一人に渡して欲しいと書かれていました。

事前に準備をされていた遺影がきっかけで親族達は少し気持ちを持ち直し、葬儀に向けて力を合わせようと意思確認をすることができたのです。

私はこの時に、悲しみの感情の中に明るい光を見た気がしました。

遺影の他にも大切な写真が納められ、祖父の真面目さと人生の最期に向けて準備をしていた事を知る事になりました。

私はこれから自分の信念を貫き人生を全うした偉大な祖父に恥じないように、日々少しずつでも成長できるように一日一日を大切に過ごしていきたいと思っています。
この文章を書いているうちに様々な思い出が蘇ってきましたが、ここには書ききれないので、あとで自分のノートに書き留めておきたいと思います。

このブログを最後まで読んで下さいまして有難うございました。

 - エージェントT