入院は突然に
2017/06/12
お久しぶりです^^
出産・育児休暇にて、1年ちょっとのお休みを頂いておりました。Dプラス スタッフCです。
特にわたくしは変わったことはないのですが、変わったことといえば我が家に男の子が誕生し
家族が一人増えたことです。
このたびの出産・産後と健康に関することが多々起こり、元気だけがとりえの私ですら
精神的にも少しきついなという日もありましたが、こうして笑顔で仕事復帰ができたのも
会社の皆様や家族に支えられてのこと、本当にいい環境で働かせていただけて感謝です。
Dプラスのいいところスタッフが『本当の家族のような存在』です。
きっと先生方のサポートも家族のように寄り添い生涯のパートナーとなってくれると思っております。
2015年冬、テレビでコウノドリのドラマが放送されていた頃の話。切迫早産をテーマにしたお話や
未熟児で産まれてしまうお話など毎週涙なみだで見ていた時期です。
まさか自分も入院するとは夢にも思っておりませんでした。何事もなく妊娠、出産までを迎えられた
長男の時とは違い、いつもと同じように月に1度の7ヶ月の定期検診に行きましたら先生に、
『はい、あなたもういますぐ入院!産まれちゃうよ!』と言われて
『いやいやいや、冗談ですよね。』
といった感じで、着の身着のまま家に帰れず「切迫早産」にて即入院となった次第です。
検診に出かけただけだったので朝大量に作ったホットケーキも机の上に置いてきてしまったままだし、
夫婦共々、両親が近くにいるわけでもないしで、不安なまま2歳の長男を残しての入院となりました。
ただ子宮を縛るシロッカー手術を受けたら「退院」と言われていていまして
長くてせいぜい2週間の入院だと言われていたので2週間なら仕方ないと思っていたのが、、、、、、
姉さん!事件です!2週間後になっても炎症値が下がらず、
『経産婦観長0mmですよ!』『もう赤ちゃんの袋が若干、見えちゃってます。』
『このまま破水したら赤ちゃんも危険なので、退院はできませんし、NICU完備の病院へ転院してもらいます!!!!!』と
2週間の入院からのハイリスク妊婦のみの病院へ転院となり(救急車)にて運ばれることとなったのです。
出産までの2ヶ月半入院を余儀なくされたのでした。
わたくし元気だけが取り柄で生きてきましたので、今までお産以外で入院をしたことがありませんでした。
ですので今回は初めての長期入院を経験しまして、いままで通い存在だと感じていた
先生方と仲良くお話までしてもらえまして、勝手なイメージで「お医者さんは話しづらいなぁ」と
決めつけていたものですから、多くの先生方に趣味のお話やご家族のお話などしていただけて
とても嬉しく、ああ同じ「人」であるんだなぁ(すみません)と感じた事が多かったです。
家から遠いところへ転院となったので息子には会えないし、いつ産まれるかとびくびくし
1日中寝たきり寝できっと精神的に、だいぶ落ち込んでいたと思います。
顔からは笑顔が消え去り、周りもハイリスク妊婦さんばかりの病院だったので皆、
悩みというか心配ごとをかかえていて。患者さんと仲良くお話をしようとも考えず、
ただただ人に会わないようカーテンの中に引きこもりました。
夜は周りの患者さんの、すすり泣く声が結構聞こえたりもしました。
前の夜にとなりにいたはずの人が次の日の朝にはとなりにいないとかそんなことはあたり前の日々で。
ただ、長く入院しているとだんだんと「話す」ことがストレス発散だと気づいてきます。
看護師の方、助産師の方はもちをん、毎日の先生の診察の時も「今日の調子はどうですか?」
とかたわいもないお話をしてもらえるだけで、気分がふわっと軽くなりました。
改めて「話す」という魔法はシンプルだけど入院中に私に元気を与えてくれました。
それに気づいてからは患者さんや先生、看護師の方々に自分から会話を楽しむようになりました。
おかげでたくさんの入院患者さんと仲良くしてもらえたり、先生方の考えや病院の考え方も知る事ができました。
前回では僻地医療と言われる熊本での出産でしたが今回は都市部での出産でしたので
また違った視点での経験もできましたよ。おかげでさまで奇跡的にも37週の正規産で出産することができました。
そんな次男も先日1歳を迎える事ができたのですが。。。。
まさか自分が急に入院することになるとは考えていませんでしたので
そうなったときにどう対処すべきか(どのように生活するか)を頭に入れて生活するのも
急な時に焦らず対処できるかな、と感じた次第です。
長くなりましたが、入院中(患者視点)で感じた事が他にもいくつかありましたので
まだBLOGにてお話させていただけたらと思います^^