「生まれ変わってもまた一緒になります」
2017/01/25
先日(6/2)、家に着いた頃(20:30頃)、普段はテレビを全く見ない自分は、子供達が
見ている番組に、釘付けになりました。番組の途中からで、背景も分からず、もう録画も
間に合わないので、その場きりと思いを定めて見続けました。
そこには、先の大戦中、もんぺ姿の20代前後の女性がうつむいて深刻な顔をしております。
お父さんに厳しく叱責されています「結婚は許さない、未亡人になりたいのか!!」と
いう剣幕です。
結婚を約束した男性が南方の激戦地に配属になり、頻回に届いていた手紙も途絶え、
やがて男性の家から、乗船していた戦艦が魚雷を受けて撃沈したとの知らせが入ります。
言葉も何もかも失って、その女性は倒れ込みます。そして、男性の実家がある大分県へ、
葬儀に参列するために向かいます。
どんなに悲しい場面が出てくるのであろうか?と思いながら見ておりますと、何とその
女性(信子さん)、真っ白な花嫁衣裳を着ているではありませんか!?肉体は無くとも
魂で結び付きたいという決意なのでしょうか、想いを寄せる男性(康之さん)の遺影と
結婚式を挙げるということをしたのです。きっと、ご両親もご親族も、信子さんの決死
の思いに従わざるを得なかったのでしょう。
その実際の写真をテレビの画面を通して見たとき、不覚にも自分の眼から涙がこぼれて
落ちました。耐えられませんでした。その信子さんの覚悟を決めた、明るくも暗くも無い
不動の表情に、何と言うのでしょうか、言葉にしがたいものを感じました。
ふと、テレビの左上に表示されている見出しを注意してみると「遺影と結婚式を、、、」
とあります。
当時の心境を綴った著書には、
「彼は私の欠点、長所すべてを理解し、励まし、力づけてくれました。生まれて初めて
人に愛される喜びを知ったのです。」
と記されているそうです。
場面は「康之さんの贈り物」「猛勉強のすえ医学部合格、医師となる」「96歳になった
今も現役医師」と流れて行きました。
診察室でのインタビューに答えて、
「こんないい仕事、有難い仕事はありません」
「毎日患者さんを診て、元気をもらって」
「そして頭を下げてもらって」
そして、逢瀬を重ねた淡路島を訪れて、その場面でのインタビューでは、
「”ふたりは特別だね、神様が与えてくれた半身だね”ていつも話してました」
「勿論、生まれ変わってもまた一緒になります」と言ってニコッとして、
「でもそんなこと(生まれ変わり)無いけどね」と、付け加える事を忘れませんでした。
以上は、記憶を基にしたものですので、細部で事実と異なることがあるかも知れませんが、
どうかご容赦下さいませ。
■参考までに番組情報です
http://writerzlab.com/nobuko-umeki
それから、少しネットで調べましたら、
梅木先生の信条として康之さんの遺族年金で生活していることを決めているそうです。
そうすることで、亡き夫に養われていると自覚することができ、謙虚に生きていくと
いう気持ちを忘れずにすむそうです。医師としての報酬は、康之さんの母校(神戸大学
海事科学部)に奨学金制度を設け、寄付したそうです。89歳まで東京都日野市で開業
していて、余生をご主人との思い出の地で過ごしたいということで、90歳のとき神戸市
に移り住み、非常勤医師として週に数日間勤務をしているそうです。
最後に、梅木先生の言葉、
「(引越し後)1年で夫の元へ行けるだろうと思っていたらもう6年目になってしまったわ」