「沖縄久高島」の紹介
遅めの夏休みで、帰省しました沖縄県那覇市です。実家は、首里城
から南に下る石畳の終点近くにあります。思えば高校時代(首里高校)
は毎日首里城までの急こう配の坂(直線で300m程)を毎日上り下り
したのでした。
沖縄に住んでいた頃は、地元だけに、由緒あるところも何時でも行け
るさ~という安直な考えから、殆ど大事なところに足を運んでおりま
せんでした。50歳を手前にして、自分のルーツはしかと見届けておか
なければ!という思いに駆られています。
久高島は、琉球王朝時代、沖縄最高位の霊場として尊崇を集めていた
場所で、今では、高速船で15分で行けますが、昔は急な流れをしのぎ
ながら命がけで渡ったようです。
◆600年続いたイザイホー(神事)の開催場所 久高殿前広場
※イザイホーは12年に1回1978年まで続いていました
私は4年程前に、「日本人の魂の原郷沖縄久高島」(比嘉康雄著)を
読んで、ウチナーンチュなら久高島に行っておかなければいけない、
と強く思って、やっと数日前に訪れた訳ですが、友人に聞くと、
「あんた~!!心の準備ができていないと、行きたくても行け
ないさー。行けたなら、準備が整ったということじゃない。」
とのことでした。その「日本人の魂の原郷沖縄久高島」のまえがき
(古代祭祀が残った島)には、以下のような言葉がみられます。
◇久高島は、少なくとも私が集中的に通っていた1980年代の中頃までは、
守護神である「母たちの神」の祭祀が最もよく継承され、生活の中に
息づいていたのである。その祭祀の中で、島の創世、神々の由来などの
島の歴史や、あの世とこの世、太陽と月、昼と夜の意味など、島人の
宇宙観、それに死生観が表現されていた。
◇久高島は琉球開闢の祖神が降り立った島として首里王府から位置づけ
られ、島人もこれを誇りにした。そのため、(中略)母性原理の祭祀
世界が近代化を妨げるものとされた中にあっても、久高島は自信を
持って祭祀を続けてきたのである。
◇この母性原理の文化は、父性原理の文化がとどまることを知らず直進
を続けて、破局の危うさを露呈している現代を考える大切な手掛かりに
なるであろう。今や残してくれたシマの人々に感謝しなければならない。